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山のめぐみ舎代表 古城 亜希子さん

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担当 : 企画振興課 / 掲載日 : 2020/09/04

本人画像


☆☆☆神奈川県大和市からIターン

古城亜希子さんは、2013年に仁淀川町に移住しました。
東日本震災当時、古城さんは東京で事務職として働いていました。
3.11を経験し、都会のもろさ、毎朝の満員電車の苦痛、お金では何も手にいらない状況に、以前から感じていた違和感を行動に移すため、地方移住を考えるようになります。


  • 現在のお仕事は何をされていますか?

“池川こんにゃく“の製造・販売のほか、こんにゃく料理を食べていただける古民家カフェを経営しています。


  • 仁淀川町に住むことになったきっかけを教えてください

 東京で在来種の野菜作りのワークショップに参加した際、仁淀川町在住の方と知り合ったことがきっかけで、高知に通うようになりました。
 数日から時には数か月、仁淀川町にお試しで滞在して、徐々に暮らし目線でこの町のことを考えるようになりました。
 都会にはない美しい川や鳥のさえずり、町民の方が自然と共に活き活きと暮らしている様子に触れ、「ここで暮らしてみたい」と、移住を決断しました。

 移住を検討する中で、地域おこし協力隊の制度を知り、協力隊として仁淀川町での生活をスタートしました。


  • こんにゃくとの出会いを教えてください

 お試し滞在中に町内をいろいろと見ていく中、出会ったのが「池川こんにゃく」でした。
 初めてこんにゃく工場にお手伝いに行ったとき食べさせてもらったんですが、できたての丸い池川こんにゃくの美味しさは衝撃でした。

 池川こんにゃくは(旧池川町)用居地区のお母さんたちが、各家庭で手づくりされてきたこんにゃくです。
「多くの方にこの味を届けたい」と苦労して立ち上げ、グループで30年以上製造されてきましたが、手作業の多いこんにゃく工場では重たい作業も多く、高齢化により存続が難しくなっていました。
 私は“手づくりの食”に関心があったので「なんとかこの味を残していきたい」という思いで、こんにゃくづくりを引き継ぐことを決意しました。

 お母さんたちの丁寧な指導の下、日々こんにゃくづくりに向き合う中、「どこで食べられますか?」という問い合わせを受けるようになったんです。
 既存の取引先はスーパーなどが中心だったので、「池川こんにゃくを仁淀川町の自然の中で、食べられる場所が作れたら」と思うようになりました。


  • こちらのカフェは、空き家だった古民家を改装してオープンしたとのことですが、そのあたりをもう少し詳しく教えてください。

 生のこんにゃくを作るだけではなくもっといろんな食べ方を提案したい、と考えて“こんにゃくカフェ”をオープンすることを決意しました。
 物件を探してまわりイメージを深める中で、美しい川の見えるこの古民家に出会いました。
 築80年以上の古い建物で、周りの心配する声もあったんですが、目の前に美しい川がある立地、土間のある古民家というのが決め手でした。
 工事は地元の大工さんにお願いし、相談しながら改装工事を進めていきました。
 お店の床には川の小石を埋め込でいたり、トイレの手洗いが使わなくなったすり鉢の再利用だったりと、遊び心も随所に取り入れています。
 大工さんの職人技と友人たちの手伝いも大きな力となり、居心地のよい古民家カフェとして生まれ変わりました。

 頭の中にあったイメージが、日に日に形になっていくのは、本当に楽しかったです。

 山のめぐみ舎カフェオープン当日は、大勢の方々に集まっていただき、“もちまき”ならぬ“こんにゃくまき”をして盛大にお祝いしました。
 関わっていただいたみなさんには、心から感謝しています。


山のめぐみ舎 全景



  • 最後にこのページをご覧になっている皆さんに一言お願いします

 この町に来たばかりの頃は、毎日自分のことで精いっぱいでした。
 移住から7年がたち、これからは皆さんと町の未来のことも考えたい。カフェをそういった場としても使っていきたいと考えています。

      震災の後で一番響いた言葉を
                     Think Globally,Act Locally 「地球規模で考え、地域で行動する」

 こんにゃくづくりは全くのゼロからのスタートで
 最初は上手くいかないことも多々ありました。
 日々経験を積み、今年で6年目となりやっと職人としての感覚を掴んできました。

       「手づくりのほんものの味を繋ぎたい」
                     一つ一つ丁寧に手で丸めた池川こんにゃく


こんにゃく



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