仁淀川
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源流/石鎚山系 流路延長/124km 流域面積/1,560k平方メートル(約95%が山地)
国交省の平成22年全国1級河川平均水質ランキング首位
平成18年度全国1級河川夏の水遊び利用者数全国1位(国交省直轄区間延長あたり・198人/km)
生命の河、「仁淀ブルー」
2011年、日本一の清流となった仁淀川は、日本の原風景とともにあります。この川が生まれる源は、西日本最高峰の石鎚山系。夏は雨が多く、冬は雪と氷に閉ざされる原生林です。豊かな森が受け止めた豊かな水は、面河川となって高知県の仁淀川町へ入り、仁淀川と名を変えます。源流から深いV字型峡谷を削って蛇行を続け、太平洋に開けた河口にいたるまで、124キロの旅です。
両岸を山々に守られている仁淀川の色は、比類のない青。仁淀川をライフワークとする写真家の高橋宣之さんが名付けた「仁淀ブルー」は、流域に暮らす人々の実感でもあります。
仁淀川の面白さ、それはいくつもの顔を見せてくれること。県境には大渡ダムがありますが、仁淀川町の川をはじめ、清らかな支流が葉脈のごとく何本も流入して透明度を上げ、みごとな水系を形づくっています。そこには複雑な地層帯が入り組み、下流域で見られる五色の川石に象徴されるような多様性が生まれました。
仁淀川町のエリアでは、岩屋川、長者川、中津川、安居川、土居川が主な支流です。水系には新緑や紅葉に映える美しい渓谷が点在し、清流を泳ぐアユやアメゴなどの姿も見られます。川の生きものと山の生きもの、空の生きものが、混じり合って暮らしています。
そして遊び場としても、かけがえのない仁淀川。県都高知市から上流域も近く、夏場の水遊びに訪れる人の数は近年、全国トップクラスとなっています。子どもも大人も、澄んだ水辺に親しむ身近な「生きた大河」。未来につなぐ仁淀川らしい豊かさです。
伝説の川、恵みの川
仁淀川という名の由来は、諸説あります。ひとつは、平城帝の皇子であった高岳親王が土佐へ来られた際、山城国の淀川に似ているので仁淀と名付けたという説。その後、醍醐天皇の時代に編纂された法令「延喜式」には、貢ぎ物として贄殿川のアユが登場します。贄殿とは宮中の厨房で、諸国から魚などの貢ぎ物(贄)を納めました。昔からおいしいアユがとれていた贄殿川から転じて仁淀川になったという説も有力です。
時代が下がり、土佐の山峡に落ち延びた平家の人々や、戦国末期、長宗我部時代の豪族たちは、仁淀川流域の山間部に文化を伝え、痕跡を残しています。山里の人々は素朴で情深く、代々の歴史を秘めやかに受け継いできました。
そして、現在も残る仁淀川の象徴といえば、沈下橋。欄干がないのは、大水が出れば沈んで川の一部となり、橋が流されないようにするため。そこには、川の恵みを受け、川とともに生活し、幼いころから遊んで親しみ、時に荒ぶる川をも受け入れてきた流域の人々、代々の知恵が詰まっています。